『エッセンスの植物を識る~お茶ノ木~前編』

 

お久しぶりです。お元気でしたか?今年の夏は特別な暑さだったように感じます。

 

9月に入り、ようやく朝夕、秋の気配を感じるようになりました。色鮮やかな百日紅や、夏の象徴・向日葵や朝顔などがそろそろ終わりかな?という頃になると、心はそわそわしはじめて、秋の花を探すようになります。ヒガンバナが一斉に花を咲かせる陰でひっそり咲きはじめるのが、チャノキの花。ファーイーストフラワーエッセンスでは、12の花ごよみとして、花期に合わせたエッセンスが選ばれているのですが、9月はチャノキ。お茶の花です。

 

日本各地にお茶どころはたくさんありますが、経済的北限地域と言われる狭山茶産地で生まれ育った私には、9月というのは花期がちょっと早い気がしたのです。でも、南北に長い日本列島の中でも九州地方、京都宇治などの関西地方、そして温暖な静岡県などでは、9月にお茶の花が咲いているのは普段の光景なのかもしれません。みなさんの地域ではいかがですか?私の感覚では、お茶の花は10月から11月に咲いているイメージです。

 

 

(埼玉県入間市・桜山展望台より茶畑をのぞむ)

 2019年5月31日撮影

 

 

普段「お茶の花」を気にかけていらっしゃる方は、どれほどいらっしゃるのでしょうか。かくれんぼの格好の隠れ場所であった茶畑で遊んで育った私にとっても、「お茶の花」は、カマボコ型に成形された茶畑の側面に、ほんの少し、咲いているか、咲いていないか、の記憶しかありません。

 

そして、その理由を知ったのは、TBSドラマ『夫婦道』(2007年頃放送)でした。武田鉄矢さんと高畑淳子さんが茶園を営む夫婦役を演じたホームドラマの中で、「〇〇さんがお茶の花を咲かせてしまった!(大失態!)」というようなシーンがあり(うろ覚えですが)、茶業を営む上では、お茶の花を咲かせてはいけないのだと知りました。 

 

しかし、その後大きく育ったチャノキに咲く花を見る機会があり、これが本来の植物としてのチャノキの姿なのだと知りました。

 

(真上を向いて撮っています!良い香りが降り注ぎます)

 

さて、私たちが日々親しんでいるお茶。子どもの頃は、食後に母が急須にお湯を注ぎ、家族ひとりひとりの湯呑にお茶を淹れてくれていましたが、今はペットボトル飲料としての緑茶のほうが一般的なようです。どうか子ども達が、「茶葉を見たことない!」ということのないように、急須でお茶を淹れる時間も作っていただけたらと思います。

 

そんな現在の緑茶も、その飲み方が伝わったのは約400年前。承応三年(1654)年来日した、中国(明)の黄檗宗の僧、隠元が伝えた「淹れるお茶(淹茶)」でした。その時伝わったのは葉を煎ってから揉む「釜炒り煎茶」の製法ですが、その後江戸時代後期になると、葉を蒸気で蒸す「蒸し製煎茶」の製法が京都宇治の永谷宗円によって発明され、現在まで続く緑茶の製法のもととなっています。

 

では、その前にはどのように飲まれていたのでしょうか。

日本では、奈良時代末期~平安時代初期に、遣唐使によりお茶が伝えられたと考えられています。比叡山延暦寺で行われていた「霜月会」という儀式には、お供え物として「お茶」が用いられていた様子が資料に描かれています。密教の儀式と密接なつながりを持っていた「お茶」。このため、境内に茶園が作られるようになりました。この頃のお茶は、沸騰した湯の中で茶葉を煮出す「煎じ茶」というものでしたが、まだ庶民には広まっておらず、僧侶や天皇、貴族しか飲むことのできない貴重なものでした。

 

平安時代末期から鎌倉時代初期になると、中国(宋)から「点てるお茶(抹茶)」の飲み方が伝わりました。鎌倉幕府三代将軍実朝が二日酔いに悩んでいた時、茶を点てて飲ませたという僧・栄西は、はじめ比叡山延暦寺で天台宗を学び、その後、宋に二度渡り、当時中国で盛んだった禅宗を日本に伝えました。栄西は、中国で見聞きした点てるお茶の作り方や飲み方を日本に伝え、晩年には『喫茶養生記』という、日本ではじめてのお茶の専門書も書きました。

 

南北朝時代の『異制庭訓往来』という書物には、日本国内の茶産地表記と、そのランキングが載っています。当時、貴族や武士の間では「闘茶」が盛んにおこなわれており、お茶の種類や産地を知っていることは大切な教養の一つでした。さて、その当時ランキングの一位だったお茶は?というと、京都栂尾産のもの。ランキングの上位は、ほぼ京都が占めていますが、奈良や三重、静岡、河越(埼玉)という地名も見ることが出来ます。

 

お茶が庶民に広まったことが描かれている資料に、京都六道珍皇寺に所蔵される「珍皇寺参詣曼荼羅」があります。当時、寺の参拝は庶民には出来なかったようですが、珍皇寺の門前には、いくつもの「小屋掛けの茶屋」が描かれ、主人が釜でお湯を沸かし、「茶筅で点てて飲む茶」を売っている様子が描かれています。それを目当てに集まった人々も多かったことでしょう。一方で、武士や裕福な商人たちが飲む抹茶は、「茶の湯」として発展してゆきました。

 

 

 

日本各地には、様々な飲み方のお茶が伝わっています。いわゆる番茶として、枝ごと葉を火であぶり、手で揉んでヤカンで煮出して飲むお茶は、最も身近で手軽な飲み方であったと思われます。島根県のぼてぼて茶、富山県のバタバタ茶などは、貴重な文化として現在まで大切に伝えられています。 ご存じの通り、紅茶やウーロン茶なども、同じチャノキから作られた飲み物です。

 

このような歴史を振り返ってみると、チャノキという植物がいかに愛され、私たちがお茶という飲み物に魅了されてきたかがわかります。

 

 

さて、「飲むお茶」のことばかり書いてきましたが、メインはチャノキの花。このチャノキの花に、二つのタイプがあることを知りました。一つは、「おしべからめしべが飛び出してるタイプ」、もう一つは、「めしべがおしべの中に埋もれているタイプ」です。

 

この二つの花の分布を調べてみると、前述した、境内茶園を持っていたと思われる古い寺があった地域には、めしべが飛び出しているタイプが多いことから、初期に日本に伝わったのが、「おしべからめしべが飛び出しているタイプ」なのでは?と考えられているそうです。

 

もしチャノキの花をみかけることがあったら、「めしべ」にも注目してみて下さいね。

 

「おしべからめしべが飛び出してるタイプ」

(左・中)埼玉県ときがわ町慈光寺 2018年10月13日 (右)神奈川県鎌倉市円覚寺 2018年11月3日

「めしべがおしべの中に埋もれているタイプ」

(左)ほくめい (中)ふくみどり (右)やぶきた の花 入間市博物館館庭茶園

2021年11月14日

 


 

それでは、次回はいよいよチャノキのフラワーエッセンスのお話しです。

後編をお楽しみにお待ちくださいね。

 

                                             文・写真

Coming Home編集部 丸山 かおる

 


参考図書

『史料で読み解く狭山茶の歴史』アリットフェスタ2019特別展図録

 

2023年9月11日公開

 

フラワーエッセンスのリトルプレス

『Coming Home』 カミングホーム 編集部

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